ブログ(職員のお話) 発信情報


12月18日 

このテーマの最後、日本の障害者施策の経緯「1990年代後半から現代」までを医学的・社会モデルなどを踏まえていきます

12月17日

前回の続き日本の障害者施策の経緯「1980年代から1990年代前半」までを医学的・社会モデルなどを踏まえていきます

12月13日

日本の障害者問題の経緯 「1960年時代、1970年時代」をお話していきましょう。

12月12日

前回日本の障害者問題の経緯 時代「戦後」からの続きをお話していきましょう。

2戦後直後
・飛躍の転換点:GHQの指示と日本憲法における福祉の確信により、生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法などの福祉三法が制定されたこれにより、行政による福祉サービス提供の基礎が築かれました学校教育法制定により、障害児にも特殊教育という形で教育の機会が与えられました。
●問題点:予算の保留から医学モデルに基づく障害等級による制限が行われ、福祉法の対象も限定された訓練主義や保護主義的な要素が重視され、「愛される障害者像」といった問題も存在していた。
・戦争による障害者が増え、福祉サービスの需要が高まった。
・障害者に対する社会的な差別や偏見は根強く残っていた。
・福祉サービスは十分に整備されておらず、障害者の生活は困難であった。
●医学モデル・社会モデル:医学モデルに基づく障害等級による制限が行われた方、教育機会の提供など社会モデル的な要素も一部見られます。
・医学モデル: 戦後の復興期には、障害者の医療的なケアが優先された。
・社会モデル: 社会復帰や社会参加の重要性が認識され始め、徐々に社会モデルへの転換が進み始めた。
●障害者問題における過程:
 ・障害者福祉法の制定など、障害者に対する社会的な支援が始まった。
 ・障害児養護施設の整備が進められた。
 ・障害者の雇用促進策が講じられた。

*基本的な原型のモデルがこの当時に行われました。社会的な差別や偏見やまだまだ福祉サービスは十分に整備されていませんでしたのでの生活は困難のようでした。このころから社会的な支援、障害児養護施設、雇用促進などが行われ現代にも受け継がれています。
次回は1960時代、1970年時代をあげてみます。


12月10日 ブログ

ちょっと重たい題材ですが「日本の障害者施策の経緯」というものを挙げてみました。長くなるのでそれぞれの年代ごとに振り返ってみようと思います。長くなりますので年代ごとで分けて投稿していきたいと思います 

日本の障害者問題の経緯:時代別問題点と医学モデル・社会モデルの対比
Ⅰ.戦前・戦中
1.問題点: 障害者は国家政策において、人権対策の対象、または精神障害者の場合は安全・取締りの対象とみなされていました1個別対立は存在したもの、「家族依存」が先決で、家族以外による保護は民間依存でした国内補償対象はほぼ傷痍軍人に限定されておりました。
わかりやすくしてみましょう
・障害者は社会から隔離され、医療施設や療養所への収容が一般的であった。
・教育の機会は限られ、社会参加は困難であった。
・優生思想の影響を受け、障害者の存在は否定的に捉えられる傾向にあった。
2.医学モデル・社会モデル: 障害者に対する国内の貢献が限定的であったため、医学モデルと社会モデルの対比は明確ではありません。
・医学モデル: 障害を個人の身体的な欠陥と捉え、医療による治療や改善を重視。
・社会モデル: 社会構造や環境が障害を生み出すという考え方はまだ定着していなかった。
3.障害者問題における過程:
・障害者は社会の負担とされ、医療や福祉の対象として扱われた。
・優生保護法の制定など、障害者の存在を否定する政策が採られた。

これらの優生保護法に於いてはいまでに論争が続いておりますが、健常者優位との古来からつづいてきたものがそのまま根付いてきたものです。これ以降欧米諸国からの考えなどが取り入れられて施策も変わってきましたが現代においても古来からの日本人における蔑視は続いてままが嘆かわしいです。
次回は戦後になります。

12月9日 職員ブログ

12月5日 ブログ

編み機のハンドルをクルクル回して作成していくといろんなものが編めます。

平織で編んでます

12月4日

12月3日更新


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